セーラー万年筆の長原宣義さんが2015年3月11日10時に広島県呉市の病院で亡くなった。
現代の名工でありペン先の神様と呼ばれた万年筆業界の長老。
写真 セーラー万年筆
昭和7年5月5日 広島県呉市で生まれる。
セーラー万年筆のペン先職人として様々なペン先を開発して世界中の万年筆愛好家から愛された職人だった。
生前、長原氏に話を聞いた。ペン先に配属されて先輩から最初の4年間荒研ぎしかやらせてもらえなかった。仕上げをやらせてくれない。イリジュウムのニブの荒研ぎ。毎日それだけどひたすらやる日々だ。さすがに嫌気がさしてきた。上司に「なんで、荒研ぎだけですか?」と聞いたら「黙ってとげ」と言われた。そして、5年目にお前に任せると言われてそれからが修行の道じゃった。
セーラーが全国を巡回する「ペンクリニック」とワシントンDCでのペンショーでは万年筆愛好家をうならせてきた。書き味をあまり追求しないアメリカ人のペン先を見て「なるほどね。横文字はこんな風になるのか」といって高速回転する砥石にペン先を当てて研ぎだす。調整が終わったペンで書いたアメリカ人は「Wonderful!」を連呼する。Nagaharaの名前は世界に広がる。
日本のペンクリニックでのことだ。聖蹟桜ヶ丘の文具店で
「お、今年も来てくれたか」といってお客さんの万年筆をのルーペで見る。
そうしたら、「おい、今年は合格じゃ!よう勉強しちょる」といった。
聞いた客は「先生本当ですか?」と目を丸くする。
「おー、今年は大丈夫じゃ」
長原氏は「合格するようにペン先を調整する」といって作業時間は3分。このスピードが神業だ。
持ってきたのは司法試験を受験する人で本当に合格した。
司法試験は黒か青のインクで解答を記入する。
万年筆のペン先を見ればどれだけ勉強したか長原氏はお見通しだった。
大井町の万年筆屋さんのフルハルター。店主の森山さんは朝から晩まで長原さんの研ぎをじっと見ていた。
モンブランを退職後万年筆で生計を立てると決意した森山さんは長原さんの技を横でみて学んだ人だ。
このペンクリニックで客からのオーダーで様々なペン先が生まれてくる。
「もっと早くインクが出ないかな?もっと縦は太くて横が細くて、「はね」と「はらい」が美しくなるペン先。
「客はわがままじゃ。でも、やるのが職人じゃ」
といって、試行錯誤の末にセーラーにしか作れないペン先が生まれた。
引退するとき「これからが試練じゃ。この工場がわしのすべてじゃ。家で何をするかのー?」とにこやかに話していた。
亡くなった3月11日10時は三越万年筆祭りが開催された。
電話で父の死を知った長男幸夫氏は「一つの時代が終わった」とつぶやいた。
長原幸夫さんは三越万年筆祭りに穴を開けることなくペン先調整をしていた。
「親父死んだから帰える?帰ったら親父がおこりよる」と笑いながら話していた。
いつまでも、元気でいてほしかった。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌