車はどんな車が好きですか。
大学時代フランスの車にあこがれていました。
サスペンションは柔らかく壊れやすい。
でも、デザインはどこの国の車よりもおしゃれ
大好きな車はルノー5(サンク)
ルノー4(キャトル)でした。
わたしは学生時代贅沢にも2台の
車を所有していました。なんで、
2台も車を持てたのか。
簡単です。時代はバルブル景気
絶好調です。
だから、簡単に稼ぐことができた
そんな時代です。
駐車場は田舎の野ざらしにおいて
乗る前に必ず洗車していました。
ワックスかけて掃除するのが
実に楽しかったのです。
アルバイトで知り合った先輩が
実にスタイリッシュな人でした。
何と言ってもすごいのが趣味です。
車の所有台数は当時で3台です。
117クーペ
2CV
そして、究極は伝説の5ターボ
ルノー5ターボ
速かったですよ。
あたしはホンダのアコードと
ルノー5でした。
ルノー5は頻繁に故障して
名古屋在住のときに売却しました。
いまでも、できればまた乗りたい
いい車でした。修理するために
丸善の洋書売り場で修理マニュアルを
購入して修理していました。
贅沢きわまりない学生でしたね。
最近の学生さんは免許すらとらない
学生さんが増えてきたようです。
なぜなら、車は維持費が高いから。
私の学生時代は車で彼女を迎えに行く
のは当たり前でした。
だれもが車を持っていた時代です。
株式投資に成功した学生は、普通に
ポルシェで大学に来てガソリンスタンで
車を預かってもらうなんて普通でした。
大学に車で通うのも普通。
当時厚木にあったキャンパスに
くるまで通学する。
これが粋でした。
先輩は日吉まで2CVで通学していました。
壊れては次の車を購入するのではなく
ひたすら修理する。
いまでは、考えれない道楽です。
でも、それが楽しかったのです。
理科系でない文科系の普通の学生が
フランス車の中古を乗る。
日本女子大にフランス車で乗り付ければ
目立ちます。
リーバイスの501を上野で3800円で
並行輸入品を購入していました。
シャツはアルマーニとBarbasを普通に
着ていた時代です。
ネイビーのジャケットはMarcl Lassnceの
カシミアを着てネクタイ締めて授業を
うける。
スタジャンにTシャツを着て大学に行く。
そんな時代でした。
ところが、先輩が迎えにきてくれました。
2CVの赤い車です。
そして、オープントップのキャンバスを
フルにあけて都内を走ります。
青山の小さなお店で食事して先輩の家の
近くにある居酒屋で酒を飲むことにしました。
飲酒運転だけは絶対にしなと決めていました。
仮に事故をすれば、直し続けている車が
なくなり、しかも刑事責任をとられます。
車は青山学院から代官山経由で目白に
向かっていました。代官山で予約した
シャツをピックアップして目白に帰る
いい気分でいたい。
西麻布の交差点から渋谷方面に向かい
坂道となっているスロープを上ります。
そのとき、突然エンストを起こします。
あれ、かかりません。
そこで、私はおりてひたすら2CVを
押しました。後ろを走っていたひとは
手伝ってくれる訳もなく「馬鹿野郎。
ぼろ車のるな」と罵声を浴びせてきます。
クラクションのシャワーです。
そして、のぼりきり骨董通りを押して
青山通りにあるガソリンスタンドを
目指しました。
わたしが押しているのを見つけて
スタンドの人が一人応援に着てくれて
スタンドで見てみました。
バッテリーとプラグがいかれている。
つまり、押してもかからなかった
理由はこれだったんだ。
準備のいい先輩はトランクから
新品のプラグを取り出し交換です。
その間にバッテリーを交換です。
先輩の財布には8000円あります。
私は2万円を持っていたので、
バッテリー代金は私が立て替えました。
そして、目白までかっ飛ばし
居酒屋というにはおしゃれな
コンビの2階にあるお店で
バドワイザーを飲みながら
「おい、美味いな」と笑いながら
飲んでいたのが忘れられません。
この車を昨日見つけました。
同じ2CVです。
見た瞬間、後のときの光景が
よみがえり涙が出てきました。
思い出の車。
先輩はその後事業に大成功して
いまでも2CVを乗っています。
20台ある先輩の車コレクション
で一番の愛車。
いまでも、目白に住み続ける
先輩です。
20台の車はとある田舎にある
格納庫に(車庫とは言いがたい)
保管されています。
先輩いい曰く、「ニュークラッシッックカー」
のコレクションです。
面白いでしょ。
でも、自分ももう一度乗りたく
なりました。この2CVを。
もう少し余裕が出たら買おうと
思います。
シトロエン2CVは青春の象徴
さあ、がんばって仕事しましょう。
俺の青春の思い出の車
ミラーも綺麗に磨いている。
たまらないな。このデザイン。
さあ、頑張るぞ。